ごあいさつ
「気が済むまでできるかどうか。」
先代の社長である父親が仕事をするときのポイントだと教えてくれた言葉です。
製品の良さを一つとっても、味、外見、安全性など様々な形に区別されますが、質の良い製品は全てにこだわられています。弊社は自社製品の細部までこだわりを持ち、お客様からの「美味しい」を聞くために社員を含め、日々精進して参ります。
変化し続ける業界や課題がどれだけ困難であろうと最適な解決策を見つけ、弊社に関わる全てのお客様を気が済むまで喜ばせ続けたいと思います。
会社概要
社名 | 株式会社 及新 |
---|---|
所在地 |
本社工場 〒988-0451 宮城県本吉郡南三陸町歌津字管の浜40番地1 第2工場 〒988-0451 宮城県本吉郡南三陸町歌津字管の浜46番地 |
代表者 | 代表取締役 及川 大貴 |
事業内容 | 水産食品製造業(若布、めかぶ、昆布、牡蠣、うに) |
資本金 | 1,000万円 |
創業 | 大正15年 |
設立 | 平成元年6月1日 |
従業員数 | 役員3名 社員37名(令和5年6月現在) |
国際認証 |
・2017年9月 FSSC22000認証取得 ・2018年8月 MSC/ASC CoC認証取得 |
取引銀行 | 七十七銀行 志津川支店 仙台銀行 歌津支店 気仙沼信用金庫 津谷支店 商工中金 仙台支店 日本政策金融公庫 仙台支店 |
SDGs宣言
私たちの未来へ向けた取り組み
SDGsは、「持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals)」のことです。
SDGsは、17の目標とその課題ごとに設定された169のターゲット(達成基準)から構成されます。それらは、豊かさを追求しながら地球環境を守り、そして「誰一人取り残さない」ことを標榜し、人々が人間らしく暮らしていくための社会的基盤を2030年までに達成することを目標としています。
私たち食品製造会社にとって、未来のために今できることは何か、真剣に考えました。
労働環境、環境保護、教育、クリーンエネルギー、食品ロス、社会貢献、様々な分野でやれること、やらなければならないことは山積しています。
株式会社及新の未来に向けた取り組みがどのポジションにあるのか、独りよがりに判断するのではなく第三者に評価してもらい、これからの課題を整理する目的で七十七銀行様のSDGs診断を受けました。
その結果、「プラチナSDGs」、「ゴールドSDGs」、「スタンダードSDGs」と3ランクあるうちの「プラチナSDGs」のランクを取得するという過分な評価をいただきました(スタンダードSDGs未満は「チャレンジSDGs」)。
今回の診断を通して、これからやらなければいけない課題が明確になりました。
これからも未来に向けた取り組みに、真摯に向き合ってまいります。
企業沿革
1926年4月(大正15年) | 及川新左衛門が東京・日本橋の海藻問屋から帰郷し及新商店を創業 |
---|---|
1988年10月(昭和63年) | 鮮かき出荷を開始 |
1989年6月(平成元年) | 有限会社及新商店 設立 |
1996年3月(平成8年) | 第1冷蔵庫竣工 |
1998年3月(平成10年) | 第2工場(かき専用)竣工 |
2001年8月(平成13年) | 株式会社及新に組織変更 |
2011年3月(平成23年) | 東日本大震災の津波で本社工場、第2工場流失 |
2012年3月(平成24年) | 本社工場新築移転 3月4日に稼働開始 従来製品出荷再開及び新規にめかぶ製品出荷開始 |
2015年6月(平成27年) | 第2工場(めかぶ専用)竣工 |
2017年9月(平成29年) | FSSC22000認証取得(本社工場・第2工場) |
2018年8月(平成30年) | MSC/ASC CoC認証取得 |
震災の記憶
‐ 及新の看板 ‐
震災で見事に流失してしまい、残っていたのはコンクリートの基礎部分だけでした。お客様の住所録から家族の写真に至るまで、キレイさっぱり、何もありません。ただし、祖父母の位牌は父と母が持って逃げましたし、会社の通帳と印鑑は妻が持って逃げてくれました。ありがとう、あなたたちは偉い。
震災の数日後、ガソリンもなんとか確保できて、浜の被害の状況を確認するために車で行けるところまで行ってみようと思い立ちました。本社店舗から3kmほど離れた館浜という場所を通りがかったときです。乗っていた軽トラックのロゴマークで気づいた浜の人が、「及新さん、お宅の看板そごさあっつお(そこにあるよ)」と声を掛けてきました。見れば、流失した店舗内に飾っていた欅の看板です。
傷だらけで金箔もところどころ剥げていましたが、紛れもなく当店の看板です。
何にも無くなったのに、唯一残ったのが看板とは…。
これは商売をもう一度やれと言われているようなものです。創業者・及川新左衛門の意思を感じました。(及新の社名は創業者の名前が由来です。)その日から、避難所の体育館で新工場の図面を書き始めました。
今はきれいに修復して工場事務所の玄関に飾っています。
‐ 浮玉 ‐
本社事務所から外を見ると、稲荷神社の赤い鳥居が見えます。その鳥居に向かって右上に視線をずらすと、地上15m当たりの木の枝にぶら下がった黒い浮玉(写真赤丸のところ)。浮玉はプラスチックでできた丸い玉で、養殖ロープに結んで養殖物を浮かせたり、目印として使われる海面養殖漁具です。
何で上空に浮玉が?と強烈な違和感を覚えますが、東日本大震災の津波で流されてきた浮玉が木に引っ掛って取り残されたものだと説明すると、皆さん一様に驚かれます。現在の本社社屋がすっぽりと水没してしまう高さなんです。津波の高さが一目瞭然の、とても貴重な目印です。
毎年、地元の小学5年生の校外学習で工場見学を受け入れていますが、震災の記憶が薄い世代の子供たちに浮玉を指さすと、「エーッ!」と期待通りのリアクション。大丈夫、1000年に一度の津波が今度来るのは990年後くらいのはずだから、心配しないで。
‐ 郵便ポスト ‐
震災の2年後、2013年に沖縄県の西表島で、津波で流された郵便ポストが発見されました。なんと南三陸町・歌津地区から流されていったポストです。どこをどう流れていったものやら、直線距離にして2,400kmの長旅です。多くの方のご尽力により、2013年の8月に無事ふるさとに帰って参りました。沖縄との不思議なご縁に共感した沖縄出身のグループBEGINが歌津でコンサートを開いてくれて、盛大にお祝いしてくれました。「おかえりポストくん」という音頭まで作っていただいて。
本社事務所から隣の空き地が見えます。震災前はセブンイレブンがあった場所です。
西表島に流れていったのは、セブンイレブンにあった郵便ポストです。